日常記(多分)

戦国メインに本の感想や城廻り。あとは日常をつらつらと。

絆の木【1】

前から書き溜めていたダミアン幼少のお話。
竹中さんに預けられるころの。
長いし途中で、しかも続きますがよかったらどうぞ。







青い空、美濃の風は冷たいが、歩いて火照った体には幾分心地よい。
しかし、松寿丸の気分は気候とは反して沈んだものであった。これが、父と行く
旅や、遠乗りだったならば、違ったのだろうが。
松寿丸の前を早足で歩く、華奢な男は父ではなかった。
その男は、今、父とともに配下についている羽柴秀吉の家臣の一人である石田三
成である。
松寿丸は、三成のことが苦手だった。いつも秀吉のそばにおり、武芸どころか、
槍を握った姿を見たこともないような文官である、というのが松寿丸の彼に対す
る印象だったが、この道中、彼の足の運びは衰えることもなく、むしろ松寿丸の
方が大丈夫か、と声をかけられてしまうあり様だった。
こやつに負けるとはおもっておらなんだ。これが、大人と子供の差ということか
、仕方あるまい。武芸に励み、体力には幾分自信があったものだから、松寿丸は
奥歯をかみ締めながらそう自分を納得させた。

松寿丸は、十二歳である。元服もまだ済ませておらず、初陣を飾ってもない。そ
のような身であるため、黒田の人質として、長浜城に来ていたのだった。
しかし、今回の中国地方を侵略の際に荒木村重が謀反、毛利側に寝返ったのであ
る。それを父、孝高が説得に行ったが、連絡もなく帰ってこないということであ
った。
そのため、孝高は謀反と見なされ、松寿丸は反逆者の人質ということで監禁、殺
されるのを待っている状態に立たされていた。牢獄の中で、閉じこめられていた
ところに、この三成が現れ、松寿丸を連れ出した。

三成の話によると、秀吉の臣下の竹中重治が匿ってくれるという。そのため、彼
の居城である菩提山城に三成と移動しているということだ。本当は、彼自身が直
接連れ出してくれる手はずだったのだが、病弱な彼の病が悪化し、今は、城で療
養しているということだった。
何故、俺なんかを匿ってくれるのだろうか。もちろん、父が裏切ったなど、松寿
丸はこれっぽっちも思っていない。しかし、そのような理屈が通じるような世の
中ではないということを彼は理解していたのだ。

「そろそろ、菩提山城だ」

先ほどまで、一言も発していなかった、三成がいきなり口を開いた。
ぼんやりと考えごとをしていた松寿丸は三成の声で現実に引き戻された。
足を止める彼の視線の先に目をやると、山頂に山城が見えた。このあたりの城と
比べると規模も大きいほうである。
ここが、俺が潜む場所か、何年越しになるかはわからないが、しばらくの間自分
が身を置く場所だと思うと、ある意味感慨深い。

松寿丸が、菩提山城を眺めているのを尻目に三成は、それだけ言うと、口を噤ん
でしまい、そのまま、早足で歩き出した。
やはり何も喋らんのか、松寿丸はそう心の中で吐き捨て、足を軽く引きずりなが
ら、後に続いた。

菩提山城は、山を利用した複雑な造りをした城であった。山頂部に主郭を置き、
南に向けて二の曲輪・三の曲輪、南側に出丸を配置され、そこには南端に土塁を
築き、更に切岸下には竪堀と堀切を組み合わせた防備を固めており堅固な造りに
なっている。
ここなら、俺がいることもばれにくかろう。
おざなりに足場が整えられた山道を痛む足を庇いつつ登りながら、松寿丸は思っ
た。

主郭に着くと、松寿丸は一間に通され、三成は、重治のもとへ挨拶に行ってしま
った。
一人になった松寿丸は、あたりを見回したあと、ゆっくりと腰を下す。
足が痛い。三成の速度に合わせて、無理に歩いてきたせいで松寿丸は疲労しきっ
ていた。
向こうが用意した真新しい草鞋のせいもあって、足に出来た小さな水疱が潰れて
いる。

まぁ、良い。三成に借りを作らんだけ良いわ。意地を張って速度を落としてもら
うように言わなかったことを少し後悔した反面、自尊心を傷つけずに済んだこと
には、安心していた。

続く
  1. 2008/11/14(金) 17:08:10|
  2. 歴史創作
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